内山進一のプロフィール

▶︎ 使用楽器のご紹介

プロフィール
名前 内山 進一
ニックネーム うっちー、ウッチマン
担当 Vocal / Guitar
使用楽器 MARTIN HD-28 / Cordoba GK Studio Negra / YAMAHA SA-700 / Morris SG / YAMAHA L12-5A / Morris MD-520 / Morris WH-20
好きなアーティスト
(グループ)
SONHOUSE / SHEENA & THE ROKKET / THE BLUE HEARTS / BLANKEY JET CITY / THE BEATLES /
The Rolling Stones / Red Zeppelin / 米米CLUB / スターダストレビュー
好きなアーティスト
(個人)
鮎川誠 / 奈良敏博 / 忌野清志郎 / 甲本ヒロト / Larry Carlton / 竹原ピストル / 長渕剛
ご挨拶

どうも!皆さんはじめまして。The TeaChers のボーカルとギターを担当しております。ウッチーこと内山と申します!
60年代~70年代の洋楽(主にBEATLESなど)を中心にカバーしておりますが、今までカバー経験が少ないので本当に勉強になってます。
私が音楽に興味をもったのは中学生の頃です。当時は空前のバンドブーム。テレビ局はこぞってロックバンドを特集する番組を作り、深夜では「いかすバンド天国」という番組が大流行していた時代。
「ロック・バンドを組むとメジャーデビューできてCDを出せる!」と、誰もが勘違いをしてしまうような時代でした。
そんな中学2年生の頃、私の田舎の中学の先輩たちは「暴走族」に入るか、「ロックバンド」を組むかの2択でその後の人生を決定付ける人たちが多く、私もその選択肢に迫られ、当然後者「ロックバンドを組む」を選ぶことになるのです…。

当時、私は付き合っていた彼女とのデート代を稼ぐために、新聞配達を始めることにしました。いよいよ明日から新聞配達が始まるという前日に、内山少年は電話で彼女に振られたのでした。
「好きな先輩ができたから…。」
後に分かったのですが、その先輩はバレー部で不良のF先輩。
私は、怒りと悔しさの矛先を次の日からの新聞配達にぶつけ、雨の日も風の日も雪の日も休まずに配り続け、約半年で10万円ほどお金を貯めることができました。
そして、内山少年はエレキギターとギターアンプ、そしてエフェクターを男の現金一括払いで手にするのでありました。それからというもの、寝ても覚めてもエレキギター三昧。時は空前のバンドブーム。「THE BLUE HEARTS」や「BOWY」「RED WARRIORS」などなど、女の子たちに絶大なる人気を得ていたロックバンドにいつしか憧れるようになるのでした。

その後、中学3年生で同じクラスになったロック少年通称「マイべー」にロックの洗礼を受けることになりました。
彼は、当時私が聴いたこともないような海の向こうのロックを私に教えてくれました。
「ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」「ジャニス・ジョプリン」「レッド・ツェッペリン」「ディープ・パープル」「ラモーンズ」「クイーン」「スライ&ザ・ファミリーストーン」などなど。
ソウル・ファンクからイギリスのパンクロックまで、ありとあらゆるジャンルの音楽を私に教えてくれました。
毎日、学校が終わって、自転車で「マイべー」の家に遊びに行っては、ラジカセでロックに浸ることが楽しくて仕方がありませんでした。そうなると、当然ロック・バンドを組もう!という流れになります。
そして、中学3年生でロック・バンドを結成し、そこから私の音楽人生がスタートしました。

中学卒業後の3月に人生初のライブハウスでのライブを行いました。当然、ライブ会場は卒業生で超満員。当時は娯楽があまりなかったので、ライブハウスという空間は日常から連れ出してくれる特別な場所でした。
初ライブを大成功で終える事ができた内山少年は、ロック・バンド、ライブハウス、大音量のエレキギター、喉がちぎれるほどの熱唱、その全てが言わば麻薬のように、一度味わってしまうと抜け出せない底なし沼に足を踏み入れることになるのでした。

高校、大学と順調にロック・バンド活動を続け、ついに内山青年は、
「上京してロックスターになるんだ!」という親不孝の極みのような暴挙に出たのでありました 。
「2年だけ時間をください。」
両親にそう言って上京した内山青年は、大都会東京で、たった1人でロック・バンドを組み活動を始めました。
2年の筈が、3年、4年、5年…。
気がつけば、引くに引けない状況に陥り、紆余曲折もありましたが、なんとか2007年に「ベルウッド・レコード」から「バンキンガール」というバンドで「スバラシカヒビ」というアルバムをリリースしたのでした。アルバムプロデューサーには「SONHOUSE / SHEENA & THE ROKKET」のベーシストの「奈良敏博」さんを迎え、アルバム・タイトルのように、大変素晴らしい作品を残すことができました。
2011年の震災まで音楽活動を続けていましたが、色々あり、音楽活動から身を引く決意とともに、現在の職場に拾って頂きました。
社会人経験ゼロの私を、拾ってくれたのは、他でもないThe TeaChers のバンマスこと「土屋先生」でした。
入社してからずっと、音楽とは距離を置き、自分のバンドの音楽も聴かない、ほとんどのギターを売り払ってしまい、残っていたギターはMORRISのMD-201Nと友人に作ってもらったストラトキャスター(査定不可だったので売れなかった)。
ギターを握る日々はほとんどなく、仕事を一生懸命頑張る毎日でありました。
入社して、5年が経過した頃でしょうか。私も気持ちの中で、音楽ともう一度向き合いたいと思い始めていた頃に、バンマスであり代表の土屋先生から、
「ウッチーよかったら一緒にギター合わせてみない?」と誘ってもらったのでした。
それから、この塾講師だけで編成された奇跡のバンド「The TeaChers 」の活動が始まるのですが、その日から、もう一度、自分も音楽を楽しんでいいんだと、何かが吹っ切れたような、清々しい感覚になり、今現在に至っています。
The TeaChersのライブは、年に3回ほどです。そのうちの2回は、塾生たちに向けてのイベントなので、なかなか一般の皆様の前で演奏できる機会はないのですが、毎年3月に柏WUUというライブハウスで無料ライブを行っています。
よかったら是非、遊びに来てくださいね!(^^)